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「被告、岡崎朋也」

 俺はのろのろと立ち上がった。

「純粋なる乙女の心を弄び、春原陽平なる男の人生を著しく狂わせ、妻智代に尋常ならざる苦労をかけた罪により、終身石抱きの刑に処す」

 お、おいおいちょっとまて。

「なぁ、待ってくれよ。何だよそれ、がいつそんな事をしたんだ?」

「そこまでしらを切れるとは、結構すごいの」

 相手側の、どう考えてもことみにしか見えない弁護士がきつく言った。

「しかしさ、やっぱり覚えなんてないし……なぁ弁護士さん、何とか言ってくれよ」

「無駄ね。理論は鉄壁、裁判長も原告側に同情しているうえに、あんた反省の色もないんだもの」

 よりにもよって杏が俺の弁護士かよ。俺の人生オワタ。

「まぁ、妥当よねぇ、岡崎だし」

「にゃーお」

「岡崎君も、ちょっとぐらい痛い目にあったほうがいいです。占いにもそう出てます」

「岡崎さん、反省してくださいね」

「岡崎さん最悪ですっ!!」

「まぁ、僕の時代が来たってことかな」

 情け容赦のない声が、陪審席から聞こえる。そして、俺は腕を掴まれた。

「特赦により、石抱きの刑は免ずる。その代り、背中に石を載せる刑に処す」

「ちょっと待て、それのどこが恩赦なんだ」

 問答無用、とばかりに、俺の左右で俺の腕を掴んでいたクマとパンダが、俺を地面に引っ張り倒した。

「では、実行」

 ずん、と背中に衝撃。

「ぐおっ!」

「まだまだだな。もう一つ」

 勘弁してくれ、と言う前に、また衝撃が俺の体を襲う。

「重かろう。しかしその重さ、お前の罪とは比べ物にならぬほど軽い」

「わかった。全然わからないけどわかったから、何とかしてくれ」

「ふむ。ならば」

 厳かな表情を崩して、長髪の裁判長はいたずらっぽく笑った。

「今日ぐらいは妻にサービスしてもいいんじゃないか、朋也」

 

 

 

 

 

 

小熊ちゃん大作戦

 

 

 

 



 飛び起きようとした。

 しかし、体が動かなかった。重い。何だこれは。あたかも本当に石を背中に乗せられているようじゃないか。

「おきないな」

「まったく、しかたのないとーさんだ」

 納得。

「なぁ、父さんの上に乗っている小熊ちゃんたち

『はい!』

 声をそろえて朋幸と巴が答えた。うん、いい返事だ。

「何で、父さんの上に乗っているんだ」

『とーさんがおきないから』

 ハモった返事が返ってきた。

「わかった……わかったから降りてくれ」

 する、と布ずれの音。急に体が軽くなり、俺は上半身を起こした。

「……って、母さんまだ寝てるな」

「あっ、そうだった。父さん、しー」

 朋幸が人差し指を口の前に持ってきた。巴もそれにならう。何だかあまりにもかわいらしかったので、俺もつられて「しー」と言った。

「じゃあ、とにかくとなりのへやにいこ」

「そうだな」

 二人の手をつないで、俺は部屋を出た。廊下を渡って、朋幸の部屋に行く。野球選手のポスターと、木製バットとグローブで飾られた、いかにも男の子らしい部屋だった。

「で、何で母さんがまだ寝ているんだ」

「きのうかあさんにいったんだ、ともえがおこしにいくまでねててって」

 智代は自分の覚醒タイミングまで自分でコントロールできるようになったのか。何だか俺の嫁がどんどん人間離れしていっている。まあ、そもそも人間離れした美しさだけどな

「智代……」

 思えば、お前と出会った日から、俺の人生はどんどん変わっていったな。あの頃は何とも思っていなかったけど、今になって思えばあの日から俺はどんどんいい方向に変わっていったんだ。ちゃんと歩きだせるようになったんだ。

「それで、きょうのことだけど、きょうはだいじなひだ。ともゆき、わかってるな」

「わかってるって」

 苦しい時も、辛い時も、智代、お前がいてくれたから乗り越えられた。どんな時も、お前が隣にいたから幸せだった。幸せじゃない、なんて口が裂けても言えない。

「ちなみに、ともゆき、おこづかいはどれくらいある?」

「えっと……さんじゅうえん」

 ああ智代。俺は、お前といられて幸せだ。お前がいない世界なんて考えられない。

「なんだそれは。せんげつのおこづかいをどうつかったらそこまでへるんだ」

「そういうともえはどうなんだ」

「にせんえん」

「なんだよそれ。なんでそんなにあるんだ」

「ずっとこつこつためてきたからだ。このひのためにさんかげつかんなにもかってないからな」

「ちょっとまてよ。せんしゅう、おまえ、おっきいしろくまのぬいぐるみかったじゃん。しょーどーがいはおんなのはなだってきょーせんせーがいってたって」

「……しまったあああああああ」

 急に巴が大声を出したので、俺は我に返った。くっ、智代、お前のことを考えるだけでぼうっとしちまったぜははは。

「どうしたんだ、大声出したら母さんが起きるじゃないか」

「あ、そ、そうだった」

 しー。

「で、とうさん」

 改まった感じで朋幸が俺を見た。

「とうさんはおこづかい、どれくらいあるんだ」

「……」

 何気に痛い。実を言うと、おこづかい、というか財布のひもはきっちりしっかり智代様に握られていたりする。しかも、今日昨日の話ではなく、情ないことに社会人になり始めてからずっと。これといって趣味のない俺だけど、気がつけば浪費している、というケースが多いらしい。

「あんまりない」

「がーん!!」

「というか、何に使うんだ」

 そう聞くと、巴がじと、と俺を見た。

「まさかとうさん、とうさんはきょうがなんのひかわすれてるんじゃないだろうな」

「え?あ、ええっと?」

 はぁ、と朋幸がため息をついた。

「ま、待て。ちょっと待て。今日は何日だ?」

「じゅーがつじゅーよっか」

「……あー」

 ここのところ仕事が忙しくてそういうところまで気が回らなかった。そうか、智代の誕生日か。それで三人でサプライズパーティーの準備をする、と。

「よくそれでかーさんのおむこさんがつとまるな」

 ぐあ

「それじゃあかーさんがかわいそーだ。うん、とーさん、かーさんはわたしがしあわせにするから、わかれてくれ」

「ふはははは、巴、それは無理な相談だな。父さんと母さんの絆を断ち切るのは、太陽の光を消すのと同じくらい難しい」

「よるになったらきえるじゃないか」

「ぐらさんがあるじゃないか」

 ……何だかな。どうしたらいいかな。

「夜になっても太陽の光は消えないぞ。地球の反対側が昼になってるだけだ。それからグラサンをかけても光が消えるわけではない」

 不意に廊下から凛とした声が聞こえた。

『かーさんっ』

「智代っ」

「すまない、巴、起きてしまった」

「い、いや、それはいいんだかあさん」

「そうか……それより三人で何をしているんだ?私だけ仲間外れというのはひどいぞ」

 少しむすりんこ、というような表情の俺の嫁。寝癖が立っているところもぼけぼけっぽくてかわいいぜ畜生。

(まずい。かーさんにさぷらいずぱーてぃーをすることをしられたら、いみがないぞ)

(とーさん、かーさんのちゅーいをひきつけてくれ)

(なになに、母さんのちゅーをもらってくれだって?おし、まかしとけ)

(そんなことはいってないっ)

 巴に睨まれながら、俺は智代と向き合った。

「智代」

「うん、何だ」

「愛してる」

「……そ、それは、まあ、知っているが」

「死ぬほど好きだ」

「死ぬなっ!!PC版みたいなオチはいやだ!!」

「ははは、そうだったな。智代、一生君を許(はな)さない」

「私が何をしたというんだ……ま、まぁ、それはともかく、私も好きだぞ」

「一生?」

「いや、永遠に」

「しまった、その手があったか。なら、俺の想いも永遠だ」

「ふふ、永遠にラブラブだぞ。いいだろ」

「ちげえねぇ」

「朋也……」

「智代……」

「朋也ぁ」

「智代」

「朋也っ」

「智代っ」


 気がつけば、部屋はもぬけのから、時間は朝ごはんのそれをとうに過ぎていた。




「まったく、ふたりともいつまでもいちゃいちゃしているなんて……しかたがないな」

 小さく切られたソーセージをんぐんぐと食べながら、巴がぷーたれた。

「母さんは父さんにぞっこんなんだ。その、すまない」

「俺も智代にぞっこんだぞ」

「そうだったな、ふふ」

「智代……」

「朋也……」

「そこでまたはじめるの?」

 朋幸がため息をついた。危ないところだった。

「……ん?あれは……」

 智代がけげんそうに壁にかかっているカレンダーを見た。やばい、ばれたか?

「クマ月クマ日、だと?どうなっているんだ?」

 智代がカレンダーをめくった。次の日は……クマ月パンダ日。

「……まぁいいか」

 いいのか?

(なぁ巴、あれはお前が?)

(じしんさくだ)

「さて、片づけを始めようか。巴、手伝ってくれるか」

「うんっ」

 元気のいい返事は、別に智代の気を引くための陽動じゃないだろう。娘と母親の仲というものは特別だ、とオッサンやお義父さん、勝平が言っていたけど、これはなんか違う気がした。ま、親子の仲がいいのはいいことなんだけど、後々厄介なことにならないといいな、とこの時は思っていた。巴と智代が台所で仲良く洗い物をしている間に、朋幸が紙と鉛筆を持ってきて、何かを書き始めた。

「えっと、なになに……ひみ……ああ」


『ひみつのさくせん


とーさんとともえでケーキをかってきて。ぼくがかーさんのきをひきつけるから

ケーキのあと、とーさんとかーさんがおさんぽしてるあいだにぼくたちでかざりつけ

かえってきたらパーテー』


 朋幸が心配そうに俺を見た。パーティーをパーテーと呼んでいるところ以外、問題なしだった。ぐっ、と拳を握る。

 しかし、ケーキを買ってくるとなると、それをどこかに隠さなければならない。あれは結構かさばるものだからなぁ、と思っていると、ふとある思いつきがひらめいた。

「しかし巴はいつも母さんを手伝っていて偉いなぁ」

「そ、そうか」

 巴が照れ隠しにどもった。

「こういういい子には、お駄賃をあげたいな。あ、そういえば駅前でかわいいクマさんが売ってたっけな。どうだ、ごほうびに来ないか」

 これでよし。クマさんを買ったとなれば、多少かさばったモノを巴の部屋に持っていっても怪しまれない。

「駅前に、だと?どこだ、朋也」

「え、あ、えーっと」

「確かあそこの近くには、ぬいぐるみショップはなかったはずだが」

 さすが智代さん、この町におけるすべてのクマさん売り場を把握しているらしい。

「そ、そうだっけな」

「……心配だな。私もついていこうか」

 ぐあ。やばい。これでは巴を連れだせない。しかも巴は巴でまんざらでもない顔をしている。おいおい、さっきの作戦はどうなった。

「あのさ」

 と思っていると、朋幸が手を上げた。

「おてつだいすると、ぼくにもなにかかってくれるの」

「あ、ああ。そうだな。いい子にはご褒美だ」

「じゃあ、かーさん、ぼくにおてつだいおしえてよっ!ぼくもがんばるからさ」

「そうか?うん、じゃあ教えてあげよう」

 朋幸のおかげで、何とか智代を置いて巴とお出かけすることができた。


 ちなみに、ちょっぴり智代とお出かけできないのが残念だった。




「すまない、おわったぞ」

 電話ボックスから巴がとてとてと出てきた。駅前に来るなり、巴は「ちょっとまってて」と言ってどこかに電話をかけたのだった。もうそろそろ携帯を買ってあげるべきだろうか。ちょっと悩む時期だった。

「誰と話をしていたんだ」

「ひみつだ。これはおんなのこらしいんじゃないか」

「……その口癖、母さんの真似だな」

「にてるだろう」

 えっへんと巴が胸を張った。そこで何で似るかなぁ。智代も巴も立派な岡崎レディーなのになぁ。

「さて、と。どこでケーキを買おうか」

「あと、クマさんもな」

「そうだな。ケーキとクマさん……ケーキとクマさん……待て」

 俺ははっと我に返った。

「……何でクマさん?」

「さっきかーさんにそういったから」

「いやしかし、あれはその、口実であって……」

「そんなんでかーさんをだませるとおもっているのかっ!!あまいぞとーさんっ!!」

「ぐぉっ」

 びしっ、と指を突き付けられて俺は一瞬たじろいだ。

「かーさんのあたまのきれなら、クマさんをかってきていないことをふしぜんとおもうだろうな。とーさんはそんなかーさんからいいのがれられるのか」

「う、うむ」

 まともに考えれば無理だった。智代からものを隠して上手くいったためしはほとんどない。

「そもそも、かーさんをだますのにりょーしんのかしゃくはかんじないのかっ」

「ぬぐおおっ」

 俺は頭を抱えた。それはきつい。智代のあの純粋無垢な瞳に嘘をつくなんて、そうそうできるもんじゃない。

「……わかった。買おう」

「そうこなくてはな」

「ついでに母さんのプレゼントも買うか」

 俺は呟きながら駅の近くにあったファンシーショップに足を踏み入れた。学生時代や智代と二人暮らしの時は入りづらい感じの店だが、娘がいるとなると話は別だ。

「なぁとーさん、このぬいぐるみはどうだろうか」

 店に入るなり、巴が一つのクマのぬいぐるみを指差した。

「あー……それ、母さんすでに持ってるぞ」

「なにっ」

「ついでにあれもあれもあれもあれも……あ、あっちもか」

「……とーさんはかーさんのもっているクマさんすべてをもーらしているというのか……!!」

 正直なところ、クマのぬいぐるみのことはあまりわからないが、智代のことだけなら世界中のだれよりも知っていると自負しております、はい。

「……もしかするとここは智代にとってはすでに攻略済みなのかもな……っと、あー?」

 ふと見慣れないぬいぐるみが目に映った。見慣れない、ということは智代が持っていない、ということだった。チョコレート色の体にコハク色の目。まぁ、かわいいかな。

「なぁ巴、こいつを見てどう思う?」

「すごく……クマさんらしいな」

 ……あれ?何だろう、俺のかわいい巴ちゃんが変な方向に育っていってしまった気がする。

「父さんは悲しい、とても悲しい」

「……」

「そもそも、誰だ巴にヤマジュンネタを教えたのは。朋幸……じゃないよなぁ……翔?どうだろうな。はっ、まさか杏、杏なのかっ!?」

「…………」

「そういや柊によると昔はBLに興味があったとか……何てものを教えるかなぁ、杏の奴」

「……………………」

「ん?さっきから黙りこんでどうしたんだ巴」

 ふと足元を見ると、そこにあるはずの薄い色の髪とリボンがなかった。びっくりして振り返ると、そこには棚の一点を凝視して身じろぎしない巴の姿が。

「どうしたんだ、巴」

「……はっ」

 不意に巴があたりを見わたした。

「大丈夫か」

「と、トリップなんてしてなかったからなっ!ほんとだからなっ」

 トリップ?はて。

「べ、べつにちがうせかいにたびだっていたとか、そういうことはないぞ」

「そ、そうか」

 俺は頷きながら巴の見ていた棚を見て、そして納得した。

「……うそじゃないからな」

「はいはい」

 俺は苦笑すると、棚の上に座っていた白クマのぬいぐるみを手に取った。





 ケーキも手に入れ、ついでにプレゼントも入手すると、俺たちは帰り道を急いだ。

「さてと……後はどうやって智代と外に出る口実を見つけるか、だが……」

 そう思いながら玄関を通ると、居間の方から「そこはそうじゃないだろう」という少し厳し目の声が。

「?」

 首をかしげながら首を突っ込むと、そこには仁王立ちしながらてきぱきと指示を出す智代と、ひぃひぃ言いながらはたきを振り回す朋幸がいた。

「ちがうちがう、もっと手首を使ってだな……力を入れすぎるな。すぐにバテるぞ」

「は、はひっ」

 ……忘れていた。

 智代は、家族が辟易するほどきれい好きで、その気になったらとことん掃除を徹底させなけりゃ気が済まない性質なわけで。そんな智代に「掃除の仕方を教えてほしい」を尋ねるなんて軍隊の特殊部隊に入隊するように無謀なわけで。

「……む、ああ、朋也」

「よぉ……だいぶきれいになったじゃないか」

「そうか?まだまだだと思うんだがな」

 俺はぴかぴかに磨き上げられた床や、きらきらきらめくちゃぶ台を見て、智代の「きれい」というものが一体どのレベルなのか気になった。

「でも、これぐらいだったら充分だって。それにしても智代も一日中ずっと家にこもりっきりだったし、ちょっと外、出ないか」

「外?一人でか」

「いやぁ、智代に外を一人で歩かせたら言い寄ってくる男たちで人だかりができるからな。どうだ、たまには二人で」

「朋也と、か」

「ああ。ちょうど巴も許可してくれたことだし」

「な、なんだとっ」

 俺たちの会話を遠巻きから見ていた巴が急に反応した。

「だよな、巴?」

「そ、そんな……くっ」

 俺と智代だけのおでかけというのが嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌でしかたがない、と言いたげな顔だったが、ここで俺と智代がどこかにいかない限り計画は進まないので、耐えがたきを耐えたようだった。芯の強いところは母親譲りなのだろうか。頼むからその強さを俺との智代争奪戦で発揮しないでくれ。

「しかたがない……しかしかーさん、なにかあったらおーごえでさけぶんだぞ?」

 ……ちょっと待て。

「どうしてそうなる?」

「だって、おとこはきれーなおんなのひとをみたらけだものになるって」

「誰がそんなことを教えた?」

「きょーせんせー」

 ……

 …………

 ……………………

 あんの女狐、人の娘に何てこと教えやがる。

「大丈夫だ巴、父さんは紳士だからな。母さんをそんなケダモノから守るナイトなんだ」

「……おーかみにひつじをあずけるよーなことをしているきがするぞ」

 ジト目で巴が俺を睨んだ。

「……まぁ、どうしても来たいって言うんだったらしょうがないけどな」

「む?」

 急に軟化した俺の態度に、巴が片眉を上げた。

「ただしその場合、巴の考えてる何かがうまくいかなくなるんだろうけどなぁ」

 わざと少しばかり間延びした口調で話した。ぴしり、とひびの入る巴の表情。

「ざぁんねぇんだよなぁ……せぇっかく長い間計画してたのになぁ」

「……とーさん、かーさんをたのむぞ」

「お?そうか?悪いな、なはははは」


 小学校に上がったばっかりの少女に対して、嫌味なことこの上ない口調で脅迫の言葉を吐き、そして勝ち誇ったように笑う三十代後半の男の姿が、そこにはあった。


 っていうか、俺だった。




 秋の風が首元を通り抜け、俺は思わず首をすくめた。そんな仕草がおかしかったのか、智代がくすくす笑う。

「ここんところ一気に寒くなったよな」

「そうだな。日も暗くなってきたしな」

「まぁ、俺には智代に編んでもらったマフラーがあるから大丈夫なわけだが」

 そう言うと、智代が顔を赤くして俯いた。

「で、でも、あれはその、まだ、上手くなかった頃の作品だったから……」

「いやぁ、すげぇ暖かいぞ、あれ」

「そ、そうか。よかった、な」

 終いには顔を背けられた。そんな照れるところもすごくかわいいぜ俺の嫁。

「ちなみにどこに……いや、何でもない」

 話題を変えようと質問をしかけて、智代は取り消した。代わりに意味ありげな笑顔を俺に向けた。

「な、何だよ」

「いや、いい……ふふ」

 妙にご機嫌な感じで智代が前を歩いた。色の薄い髪が赤い夕焼けに染まって、独特の色に染まっていた。

「なぁ朋也、知っているか」

「何をだよ」

「人を好きになった時の問題、だ」

 相変わらず何かを含んだ笑顔で智代が問いかける。真面目な質問ではなく、どことなく猫がじゃれついてくるような、そんな雰囲気だった。

「さぁ……智代を好きになって感じた不都合なんてないからな」

「そうか……ふふ」

 そして智代が俺に寄りかかってきた。少し危なげな感じがしたので抱きとめると、智代は静かに俺に囁いた。

「隠し事が下手になる、なんてどうだ?」

「なっ」

 びっくりして顔を見た。というか、反応からしてもうすでにバレバレだった。

「朝から三人でこそこそ何かをやっている時点で怪しすぎだ。そして極めつけはカレンダーだったな。あれは否が応でも私に今日の日付を意識させた」

「……お前には敵わないよなぁ」

 苦笑交じりに敗北宣言をすると、今度は含みも何もない、屈託のない笑顔で智代が笑った。

「でも、私だって朋也に隠し事はできないぞ。いつもは鈍感なくせに、こういうことになると朋也は勘が鋭くなるからな」

 そこまで言われては返す言葉が見つからない。俺はばつが悪そうにぽりぽりと頬をかいた。

「それに、うれしくないわけがないじゃないか」

 さらに俺に体重を預けながら続けた。

「三人で秘密裏の準備とか、あの手この手で私の気をそらしたりとか、そんな小粋な演出で誕生日を祝ってくれるんだから。普通に祝ってもらうよりも見ていて楽しめたぞ」

「……見ていて楽しんだのかよ」

「まぁ……お前はともかく、小熊ちゃんたちは小学生だからな。頭隠して尻隠さず、といおうか。いろいろと甘いところがあったしな。でも朋幸も巴も一生懸命で、実際、笑いをこらえるのが大変だったんだ」

「……」

「だからな、この小粋なゲームにどうオチがつくのか、楽しみなんだ。きっとあの子たちのことだから、突拍子もないものなんだろうけどな」

「……そうだな」

 そう言うと、俺は智代ごと体を反転させた。

「じゃあ、そのオチとやらを見に行くとするか」

「ああ。楽しみだな」

 秋の夕焼け色に染まった歩道に、長い影がゆらゆらと伸びた。




 家の異変に気付いたのは、俺たちが玄関の傍に辿り着いた時だった。

「む。電気がついていないな。どこかに出かけたのか」

「鍵をかけたんだろうか。俺、持ってきてないぞ」

「むぅ……」

 一瞬、小熊ちゃんたちに締め出されたクマとパンダの図が頭の中に浮かんだが、智代が扉のハンドルを握るとそれは霧散した。

「何だ、開きっぱなしじゃないか……仕方のないな」

「言っとかなきゃな。出かける時は、戸締り大事ってな」

「うん……うん?」

 不意に智代が眉をひそめた。

「誰か……いる、だと……?」

「何?どこに」

「気配がするんだ……まさか空き巣ではないだろうな」

 泥棒がいるかもしれないという事態に、自然と体が前に出る。

「……朋也」

「俺が先に入る。何かあったら、その時は頼む」

「……わかった」

 不安げに俺を見上げる智代に親指を立てると、俺は居間の襖を開いた。


『誕生日おめでとうっ』


 一瞬、何が起きたのかわからなかった。そこにいたのは盗人、ではなくて、小熊ちゃんたち、だけでもなく、本当にいろんな人がいたのだった。春原たち、古河一家、柊と勝平、鷹文んところ、お義父さんにお義母さん、そして

 あぜんと立ちつくす俺の傍を通り過ぎて、小熊ちゃんたちが母親に駆け寄った。

「かーさんっ!おたんじょうびおめでとうっ」

「あ、ああ……」

 さすがの智代も面食らったのか、気の抜けた返事しかできなかった。

「というか、これは……」

 そう言って俺はふと思い出すと、杏を見た。杏も俺の視線に気づいたのか、いたずらっぽく笑った。

「そうか……杏か」

「巴ちゃんに頼まれてね。それにまぁ、智代の誕生日なら祝ってあげたいじゃない」

 そして俺はようやく思い出した。ケーキを買いに巴と外出した時、巴が電話していた相手は杏だったんだな。

「みんな……ありがとう」

 感極まって、智代が涙を浮かべた。照れ隠しにみんなでごにょごにょと「いやぁ……」「ねぇ?」と言い始めた。

「それより小僧、ともぴょんに言うことがあるんじゃねぇか」

 オッサンが不敵に笑いながら俺に言った。言うこと?愛してるとか?

「そういえば……これってサプライズパーティーなんだよねぇ。そしたら岡崎、まだ言ってないでしょ」

「何ですか朋也さん、『あの』言葉をまだおっしゃってませんのですか」

 春原とお義母さんも意地悪そうな笑顔を浮かべた。そして俺はようやく思いついた。

「智代」

「うん?」

 俺は智代の手を引くと、最愛の人を抱きとめた。


「誕生日、おめでとう」

 

 

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